大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所岡山支部 平成8年(う)93号 判決

本籍

山口県大島郡橘町大字西安下庄五四番地

住居

岡山県倉敷市連島三丁目六番三三号

職業

会社役員 末金辰一

昭和一八年七月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、岡山地方裁判所が平成八年一〇月一八日に言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官高田出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人院去嘉晴が作成した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

二  そこで、原審記録を調査して検討すると、本件は、個人で継続して有価証券を売買するなどして多額の所得を得ていた被告人が、所得税を免れようと企て、借名口座を利用して有価証券売買を行うなどの方法により所得を秘匿した上、原判事第一のとおり、昭和六一年分の総所得金額が一億六〇一七万六五四二円で、これに対する所得税額が九五六七万八九〇〇円であったにもかかわらず、同年分の総所得金額が一四〇一万八六二〇円で、これに対する所得税額が一二万八九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により、同年分の正規の所得税額と右申告税額との差額九五五五万円を免れ、同第二のとおり、昭和六二年分の総所得金額が一億二六九六万三六一八円で、これに対する所得税額が六四八六万一〇〇〇円であったにもかかわらず、同年分の総所得金額が一四〇一万八六二〇円で、これに対する所得税額が五万七三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により、同年分の正規の所得税額と右申告税額との差額六四八〇万三七〇〇円を免れたという事案である。

そして、被告人の父末金壽滿が会社経営で残した裏金(簿外資産)を父の死亡後の昭和五三年三月ころ、兄末金利夫、被告人、母末金節子の三名で分配取得する旨の合意(以下「裏金分配合意」という。)をし、右各取得分は三名に帰属することになったが、現実にはその実行をせず、被告人が、その全額を預かって運用し、有価証券の売買に当てて利益を上げながら、株式取引による利益は自己の才覚や努力の成果であり、これを正直に申告して多額の税金を納めるのが惜しいとの気持ちが働いたことや将来の生活資金の蓄積を考えたことなどから脱税行為に及んだことが認められ、所得に応じた納税義務が国民の当然の責務であることの自覚に欠け、いわば個人的な利害と打算のために脱税を図ったものであって、もとよりその動機において酌量の余地はなく、また、脱税に至る経緯とその態様についてみても、昭和四九年ころから株式取引を始めた被告人が、昭和五三年四月以降、前記裏金を資金に借名口座を開設するなどして本格的に株式取引を開始し、その売買利益を税務署に一切申告することなく、所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出して脱税を繰り返すうちに、本件各犯行が発覚したもので、大胆かつ悪質な犯行といわざるを得ず、しかも、本件の二年間の脱税額合計は一億六〇三五万円余りと著しく高額で、ほ脱率は正規の所得税額の約九九・八パーセントと極めて高率であって、これら本件各犯行に至る経緯、動機、態様及び結果等の犯罪自体の情状は悪く、加えて、膨大な利益を上げながら自己の個人的な利欲のために不正な手段により納税を免れる行為は、国民として当然の責務を果たさないというに止まらず、公平を害し、公の秩序を乱す反社会的行為としての側面のあることも否定できないことを考えると、被告人の刑事責任は重大であるというほかない。

したがって、被告人は、本件の摘発を受けて、いまさらのように自己の安易かつ軽率な行為が重大な犯罪であることを自覚して反省していること、本件各年度分について前記裏金を運用しての有価証券取引による利益が被告人一人に帰属することを前提に国税当局から指摘された金額に基づいて修正申告を行い、本税未納分、延滞税、重加算税等を納付したこと、本件各犯行により逮捕、勾留させるとともに、新聞等でも大きく報道され、相応の社会的制裁を受けたこと、被告人には業務上過失傷害による罰金の前科が一回あるほか前科がないこと、その他被告人の年齢、性格、経歴、職業、家庭の状況等の被告人に有利に斟酌すべき諸事情を併せ考慮しても、被告人を懲役一年二月及び罰金四〇〇〇万円に処し、懲役刑につき三年間の執行猶予にした原判決の量刑はやむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとはいえない。

なお、被告人は意図的に株式取引の売買回数についての制限を潜脱しようとしたものではなく、本件当時株式取引による所得に関する非課税枠についての回数制限等について十分な知識を有していなかったとの所論については、差戻前の原審記録によると、被告人は、有価証券の売買回数が年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上の場合に課税されるという課税要件を遅くとも昭和五七年ころには承知していたことが認められ、仮に被告人が右課税要件の具体的適用方法に関する正確な知識を有していなかったとしても、被告人には元々有価証券取引による所得について納税の申告をする意思が一切なかったことが明らかであるから、所得税ほ脱の故意に欠けるところがないことはもちろん、右の点を被告人に有利な事情として斟酌するのは相当でない。また、本件起訴から差戻後の原審判決に至る経過により被告人及びその家族が受けた精神的苦痛或いは被告人の被った経済的損失等所論指摘の事情は、本件事案の規模、態様及び複雑性等が捜査及び起訴後の審理を困難にし、判断のそごを来した結果であって、やむを得ないものというほかなく、右の事情を減刑のための情状として過大に斟酌することはできない。

論旨は理由がない。

三  よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福嶋登 裁判官 内藤紘二 裁判官 山下寛)

平成八年(う)第九三号

控訴趣意書

所得税法違反 末金辰一

右被告人に対する頭書被告事件の控訴の趣意は左記のとおりである。

平成九年一月一九日

弁護人 院去嘉晴

広島高等裁判所 岡山支部 御中

原判決は被告人に対し、懲役一年二か月及び罰金四〇〇〇万円、懲役刑につき三年間執行猶予の判決をなしたが、右刑の量定は次の情状が十分考慮されていないので、余りに重きに失し、破棄しなければ著しく正義に反する。

一、被告人は意図的に、株式取引の売買回数についての制限を潜脱しようとしていたものではない。即ち、被告人は本件当時、株式の売買による所得についての非課税枠についての回数等の制限、同売買等による所得の申告方法等について、十分な知識を有しておらず、証券会社も適切な指導をしていなかったという事実がある。

1、被告人が右取引の売買回数の制限を潜脱する意思があれば、被告人は右取引の非課税枠について、証券会社の担当者に問いただす等していた筈である。

被告人は右のような照会、調査等をしていなかったので、(1)複数の株式の取引については証券会社で総括伝票を作成していること、(2)その取引は年間一銘柄二〇万株以内でなければならないこと、(3)複数の者の資金で株式の取引をする場合には、その資金を分別管理しておれば、一人につき五〇回以内の株式取引が認められること、について全く知らなかったのである。

もっとも、右のうち、(1)については、被告人は一度も総括伝票の発行を受けたことがないこと、(2)について被告人は、昭和六二年夏ごろまで一銘柄の取引が一回二〇万株以内ならよいと思っていたことが明らかである。現に、検察官請求番号三〇の田中優(山一証券)の調書第七項には、「・・・同一銘柄二〇万株以上の要件については、ご存知なかったようでした」と記載されている。

(3)については恐らく証券会社の者も、分別管理を要するということまでは理解しておらず、一人五〇回で三人で一五〇回としか思っていなかったのではないかと思われる。もし、理解しておれば、被告人の長い株式取引の間に、営業員の誰かが被告人に示唆している筈であるが、誰一人として「分別管理を要する」ということは言ってくれていないからである。

むしろ、証券会社の営業員は、自己の営業成績を上げるためには、顧客のことは二の次にするのが常であるから、非課税のための枠があることを多少なりとも知っていても、あえてこれを被告人に伝えていなかったのではないか、ということも十分考えられる。

本件捜査の際、捜査官は当然、右の非課税枠等について各証券会社の担当者に事情聴取をしている筈であるが、何らの記載もされていないことからしても、彼らがそのことについて十分な知識を有していなかったことが裏付けられると考える。

2、被告人が右のような売買回数についての非課税枠の制限を十分理解していれば、本件査察が始まった当初から、各取引口座ごとに三人のうち誰に帰属するかを考えて弁解していた筈であるが、そのような状況は全くない。

3、被告人は、配当金についての税制が変更された昭和五〇年代の後半に初めて、配当金を受領する前に、総合課税、分離課税のいずれを選択するかについての書類を証券会社を通じて税務署に提出し、分離課税を選択していたので、その後はこの書類に基づいて自動的に、分離課税が選択されると思い込んでいた。

即ち、配当金が一〇万円を超えた銘柄毎に、右のいずれを選択するかの書類を提出しなければいけないということを知らなかったのである。

二、被告人の本件違反行為は、被告人の実父の残した簿外資産の管理運用を被告人が引受けたものの、この簿外資金が明るみに出ないようにと思って、借名による株式取引を始めたことが、その始まりである。つまりこの借名の目的は、株式取引を隠蔽するためではなく、簿外資産を隠すためであった。

もっとも、被告人自身は借名自体が違反ではないかと思っていたので、借名を本名にすべく三和銀行の総合口座を作ったり(弁七五)、証券会社の担当者と相談したりしていたが、借名から本名に移す前に本件税務調査を始められたのである。

三、検察官が本件捜査をなした時、被告人が平成三年三月一一日ごろまで主張していた三分割説は認めないという大前提があり、そのため被告人が本件の経緯、内容をいかに弁解しても、これを理解し、検討し直そうという意欲は持ち合わせていなかった。それに加えて、当時の岡野弁護人が山上弁護士を使って、このような検察官の意向に従わせるべく、被告人に三分割説の放棄を勧めたのである。

即ち、弁護人の中に検察官になり変わったかの如き誤った弁護をする者が出たうえ、それ以上に厳しい検察官の取調べを受けたため、被告人は、このまま三分割説を維持していると、長い間勾留されるし、実刑判決を受ける恐れがある、それよりは岡野弁護人の言うように、三分割説を放棄して、ほ脱額が五億円を切るように操作をしてもらえば、執行猶予の判決となると思い込まされて、内容が著しくゆがめられた検察官調書が取られるに至ったのである。

ところが、結果は大変な実刑判決であって、あわてて控訴して平成七年一〇月二五日の貴庁のご理解ある判決を頂くまでの、被告人およびその家族の精神的苦痛はまことに大なるものがある。そしてこの間の被告人の時間的、経済的な損失もまた莫大である。

四、原判決は量刑の理由を全く記載していないから、詳細は不明であるが、右のように他の事件には見られない程特異な事情があったことを十分考慮したとは思われない。即ち検察官の本件起訴にも、第一回の岡山地裁の第一回の判決にも、誤りがあったことが明らかであるのに、検察官の第二回目の求刑は、ほ脱額が減じたからそれに合わせ下げたというだけで、以上の誤りを考慮してはいないのであるから(第二回の論告参照)、原判決は大幅な軽減があってしかるべきであるのに、冒頭記載の判決では、被告人は納得できないのである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例